障がい者とクレーマー騒動は、毎年至る所で発生します。
※障がい者がクレーマーと言っているわけではありません。そう言うコメントが寄せられると言うことです。
その中でも、「バニラエア車椅子事件」はかなり大炎上した事件です。
一言で言えば、車いすユーザーの搭乗をバニラエアが拒否した事件。
それに対して、拒否された木島英登さんが猛反発したと言うことです。
今回の記事では、「バニラエア車椅子事件」を解説していきます。
※本件に関してはニュースでも取り上げられ、木島さんも取材を受けています。
この記事で分かること
Contents
【飛行機】バニラエア車椅子事件のクレーマー騒動とは?

まず最初に、「バニラエア車椅子事件クレーマー騒動」に関して解説します。
ポイントは以下の通りです。
今回の騒動は、このような形です。
もう少し詳しく解説します。
関西空港でのバニラエアの対応
まず、バニラエアの最初の対応について。
木島さんは、車いすで生活している障がい者です。
そのため、飛行機に搭乗する際も車いす移動でないと厳しいです...
ただ、そんな木島さんに対してバニラエアは以下のように対応。

(階段の搭乗タラップの写真を見せて)こちら歩けますか?
当然ですが、車いす生活の木島さんが歩けるわけもありません...
そのため木島さんは以下のように返答。

歩けません。
そこで木島さんとバニラエアとの間で、以下のような取り決めが行われます。
同行者の手伝いのもと乗降する
木島さんは5人の同乗者がいました。
そのため、同乗者のサポートがあればOKと言われたのです。
そしてそのまま、奄美で観光旅行を楽しみます。
奄美空港でのバニラエアの対応
関空でのやり取りがあったため、帰りも同じように搭乗できると思っていた木島さん。
しかし、奄美空港のでバニラエアの対応は関空での対応とは異なります。

往路に車いすを担いで降りたのは違反です。
つまり、搭乗拒否されてしまうわけです。
しかし、木島さんは翌日仕事で何としても関西に戻る必要があります。
そこで、以下のような条件で搭乗することになります。
同行者のお手伝いのもと、階段昇降をできるなら
これで一件落着かと思いましたが、問題はここからです。
搭乗タラップを這って登らされる

さて、実際に飛行機に搭乗することになった木島さん。
ただ、搭乗タラップを登る時に事件がおきます。
まず同行者が車いすを持ちあげて乗ろうとします。
しかしそれに対し、バニラエアは以下のような反応。

ダメ!
こんな風に静止されてしまいます。
そこで次は、階段に座って、一段一段、這って登ろうとする木島さん。
しかし、ここでもバニラエアは以下の反応。

ダメ!
そこで同行者が木島さんの足首を持ち上げ、何とか機内に入ります。
そして、機内にある専用の車いすで座席まで向かいます。
何とかして関空に帰着することができました。
世間の批判とバニラエアの謝罪
今回の一連の騒動ですが、その後大炎上します。
明らかにバニラエアの対応は非人道的だったからです。
木島さんが搭乗タラップをのぼると際、職員はもっと手助けできたはずです。
もちろん、同乗者と木島さんだけで移動できることが条件でした。
それが社内の安全基準といえばそうなので、職員が間違っていたのかはよく分かりません。
ただ、障がい者に対して明らかに「合理的配慮が足りていない」と言われても仕方のない状況です。
そこで、バニラエアは後日謝罪することになります。
これが事件の一連の流れです。
バニラエア車椅子事件で木島英登さんがクレーマーと呼ばれた理由

ここまで読むと、バニラエアがとんでもなく酷い会社のように思えます。
実際、テレビも新聞もそのような報道の仕方でした。
しかし後日、被害者であったはずの木島さんも炎上することになります。
木島英登さんが炎上した理由
明らかに被害者であった木島さん...
しかし、全く落ち度がなかったわけではありません。
なぜなら木島さんは、「事前連絡をしていなかったから」です。
通常、障がい者対応には時間も人員も労力もかかるため、航空会社に事前に連絡するのがマナーです。
ただ、木島さんはその連絡を怠っていたことが後日発覚します。
これに対し、木島さんもまた批判の対象になります。
木島さんが航空会社に連絡をしなかった理由

ただ、これに対しては木島さんにも言い分がありました。
それは、「事前連絡したら搭乗拒否される可能性があったから」というもの。
木島さんは以前、他の乗り物で障がいを理由に搭乗拒否された経験がありました。
そこで、事前に言うとそもそも飛行機に乗れないかもしれないと考えたのです。
ただ、これは自己中心的な理由では?と当然反発の声も出ます。
バニラエア車椅子事件のクレーマー騒動!木島英登の現在

今回の騒動の渦中にいら、「木島英登」さんに関しての情報もまとめておきます。
「木島英登」さんに関するポイントは以下の通りです。
それぞれ解説します。
「木島英登」さんとは?
木島さんは1973年に大阪に生まれます。
高校ではラグビー部に入っていました。
ただ、ラグビーでの練習の際に脊髄を損傷し下半身不随となります。
この出来事がきっかけで、車いす生活になります。
ただ、学業は優秀で名門の神戸大学に進学し、電通に入社します。
その後、「木島英登バリアフリー研究所」代表になります。
「木島英登」さんのバニラエア車椅子事件後
事件後、木島さんは自身の考えを表明しています。
「わざとではありません。ネットで予約したときに、事前連絡する必要があることに気づきませんでした。たとえ事前連絡してもバニラ・エア側は乗せなかったこともメディアの取材で明らかになっています」
そもそも私は飛行機に乗るのに、過度な負担の手伝いは必要ないので、事前連絡せずに乗っても問題ないと考えています。事前連絡すると、かなり手間がかかったり、たらい回しにあったりすることも多いのです
事前連絡は障害がある人を排除するための、ある種のフィルターになっている場合もあります
これが木島さんの声です。
「木島英登」さんの現在:2022年7月11日にご逝去
木島さんは、2022年7月11日にご逝去されました。
享年49歳。
死因は「くも膜下出血」です。
木島さんは車いす生活でしたが、世界各国を飛び回った人物です。
そのため、書籍として以下も発売されています。

参考:車いすの旅人が行く!「心のバリアフリー」を求めて日本縦断【Amazon公式】
最後に:バニラエア車椅子事件のクレーマー騒動
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
タイトルテキスト
- 事象の発端
- 関西空港で木島英登さんがバニラエアにより乗車拒否される(往路)。
- 条件付きで「同行者の手伝いのもと乗降する」という合意の下で搭乗を許可される。
- 奄美空港での対応
- 帰路、バニラエアは木島さんに自社の車椅子への乗り換えを要求。
- 木島さんは自分の車椅子が使いやすいと抗議。
- バニラエアは「往路に車椅子を担いで降りたのは規則違反」と返答。
- 搭乗タラップの事件
- 搭乗時、木島さんがタラップを這って登る。
- バニラエアはこれを拒否し、最終的に同行者の手伝いで機内に入る。
- 社会の反応とバニラエアの対応
- 事件後、社会からはバニラエアの対応が非人道的だったと批判が集まる。
- バニラエアは後日、公式に謝罪。
- 木島英登さんがクレーマーと呼ばれた背景
- 事前連絡を怠ったため、社会の一部からクレーマー扱いされる。
- 木島さんは、事前連絡をすれば搭乗拒否される可能性があったと述べる。
- 木島英登さんのその後
- 木島さんは事件後も障害者の権利向上に尽力。
- 2022年7月11日、49歳で亡くなる。死因はくも膜下出血。
クレーマーに関しては、以下の記事でさらに詳細が分かります。
クレーマーの特徴・心理・対処法について総合的にまとめています。